小説 昼下がり 第二話 『梅雨の雫(しずく)』



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      (十)  
 窓の外は雨も一休み。夕暮れの様相を呈
してきた。
 西の空の茜(あかね)色が美しい。感傷
に浸っているときだった。
 「啓ちゃん! 今晩、ご飯食べるでしょ
う。カレーライスだよ。
 そこに、バンカラ透もいるのかい? 汚
いドタ靴ですぐわかるよ」
 階下から聴こえる下宿の奥さんの甲高い
声。きつい言葉に聴こえるが、透にとって
は先刻承知。愛情の表現だと気にもとめて
いない。
 「おばさん、汚い靴は余分だよ。俺も食
べるよ。そのカレーライスいくらだい?
高けりゃ食わねぇぞ!」
 透は酔いを醒(さ)まそうと、眼をパチ
パチさせている。
 「百五十円だよ。但し、どんぶり一杯以
上は倍もらうからね」
 「百円に負けろよー」
 透の粘り腰が功を奏するかどうか、啓一
はいつものように、黙って事の成り行きを
見守っていた。
 「駄目! いやだったら帰りな! あんた
のために作ってんじゃないから。啓ちゃん
に食べてもらうために作ってんのよ!」

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 透は言葉に詰まったのか、しばし沈黙の
後、「わかったよー」
 「すぐ下りてらっしゃい。冷めるわよー」
 奥さんは、勝ち誇ったような、やわらか
な言葉に変わり、満足そうな表情になった。
     (十一)
 高木秋子……四十三才。下宿を始めて早、
八年。戦後、調理人の資格を持つ、ビルマ
から帰還したご主人と二人、手を取り合い、
一階で大衆食堂を営んでいた。
 一人の幼子をもうけ、仲睦まじく暮らし
ていたが八年前、夫を肺癌(がん)で亡く
した。小さな子供を抱え、途方に暮れてい
た秋子は意を決して食堂をやめ、昼間はパ
ートタイマーとして、近くの運送会社の事
務を執りながら、今は一人で下宿を切り盛
りしている。
 やや小柄な秋子だが、とても四十三才と
は思えない。きちんとパーマをかけたその
容姿は、今もって衰えを感じない。
 勝気な性格と、時折見せる弱さと優しさ
に、啓一は年齢を超えた魅力を感じていた。
 階下に下りた啓一と透は、六畳ほどの板
張りの上に置かれた丸い食卓を囲んで座っ
た。
 西洋皿に盛られた大盛りのカレーライス
が妙に食欲をそそる。

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 所構わず、豪快にスプーンを動かす透に、
秋子と啓一は顔を見合わせ、思わず吹き出
しそうになるのを堪(こら)えた。
 一息ついた透は、手の甲で口を拭きなが
らコップに注がれた水を一気に飲んだ。
 「おばさん、今日のカレーは特に旨い!」
と大声で叫んだ。
 「透! 今日のはじゃないでしょう。今
日もでしょう。あんた文法が間違っている
わよ。それとね、私はおばさんじゃない。
まだ若いのよ。秋子と呼ぶのもおかしいわ
ね。亭主じゃないんだからー。そう、お姉
さんがいいわ。ねえ啓ちゃん?」
 啓一は思わずうなづいた。いつもは敬意
を表して〔奥さん〕と呼んでいたので、お
姉さんと呼ぶことに多少の違和感を覚えた
が、強い口調の秋子の言葉に抗(あらが)
う勇気はなかった。
〔なるようになるさ。ケ・セラ・セラ、だ〕
(一九五六年米映画「知りすぎていた男」
から、「なるようになる」…の意)と、生
来の楽観的な感覚が頭をもたげた。
 その時だった。ガラガラガラ、と勢いよ
く鳴り響く玄関の音。妙子が帰ってきた。
 再び、方程式なき運命(さだめ)に翻弄
されるとは、啓一は思いもよらなかった。
            (次回に続くー)

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